A.Uさんお母様 
 薩摩川内市立 育英小学校 卒業

大阪桐蔭中学校(英数)
四天王寺中学校(英数Ⅱ)
帝塚山中学校(英数)  合格

偏差値30台からの合格 6年の春になっても偏差値30台続出だった娘に、ほとんど受験をあきらめておりました。
しかし娘はなぜか受験をすると言い張り、だからと言って前向きに勉強をするでもなく、また都会と違って塾もあまりなくて、
補習的な塾や家庭教師やとあれこれ試しては挫折し、親子関係も崩れきっていました。

困り果てて、以前、東京でお世話になっていた奥村先生にお助けをお願いしたのです。 もちろん通うことはできませんし、直接の接点は
お電話とメールによるご指導です。6年の始めの頃の社会や理科など散々で10点台。偏差値が20台のこともあり悲惨なものでした。
さらには記述は書いてこない、算数が苦手…。 きっと普通の先生なら相手にもされなかったと思います。

でも先生は細かくやるべきことを提示してくださり、ズレて行ったり、不安になったりする度に助けてくださいました。
同じ頃、ホームページの体験記を読むうちにA.Sさんという憧れができました。「A.Sさんみたいになりたい!同じ学校に行く!」
自分を全くわきまえていないめちゃくちゃとしか言えない目標にあきれながらも 「やる気になってくれるならもう何でもいいかな」と
黙って見ておりました。 遠いながらも目標も出来、完璧とは言えないまでも毎日必死に教えを守りました。
でも入試まで1年を切ってしまっていて、しかもA.Sさんの合格されたのは 難関校。 夢のまた夢というより寝言に近い感じでした。
実際にもご指示通りやってるはずなのに、夏の時点でもまだ結果は出ず、もう間に合わない…どこかでそう思いながら、それでも不安を
ぐっと抑えてアドバイスどおり信じてやり続けました。

振り返ると、親としてはこの頃が一番つらかったと思います。 結果が急に出始めたのは秋も遅くなってからです。
それまで細かくコツコツとやり続けたことがつながって溢れ出すように出てきました。
それでもまだまだミスは多く、欠けている部分がテストごとに次々見つかる状態でした。
でもこの頃には娘は壁に貼ったA.Sさんの体験記を見ては、泣き言も言わず課題を切り崩していました。
そんなでしたから、過去問に入ったのもかなり遅かったのですが、過去問になるとさらにやる気が出てスピードもあがり、
ひととおり通した頃にはもう不安はなくなって、あとは弱点の見直しを徹底的にやりました。
私達のように子供の気持ちが勉強に向かずスタートが遅れたものにとって、出来のいいお子さん方の勉強法など何の役にも立ちません。
『とにかくわき目もふらずバッサバッサ切っていく』これが時間がもうない私達にとってはとても効果的なやり方でした。

よそ様とは違い、私が勉強を教えてあげられるわけでもなく、しかし娘は自分で頑張れる子でもなかったので、
ただひたすら横には座り続けました。何も出来なくてもずっと子供を見ていたら感覚としてわかってくることがたくさんありました。
だから塾のテストで合格圏内に一度も入ったことがなくても、データに振り回されることなく「いける」と出願の時には確信していました。
そして気がつけば「受験を再考するように」と判定の出ていた3校ともに合格をいただき、
憧れのA.Sさんと同じ学校に通えることになりました。

親である私が一番信じられなかったのかもしれません。その瞬間は喜びというよりも困惑に近く、
何となくぎこちなかったように思います。
手続きを踏むたび、後から後からあふれてくる喜びに、 ようやく合格を実感しました。

酷い成績でめちゃくちゃな親子でしたが、お見放しなく合格まで一生懸命 ご指導くださり、本当にありがとうございました。
ご縁を感謝致します。